タイトルが長い。
Facebookは多くの人の自己表現の場となっているし、それはとても有意義な場でもある。忙しい中での考えや思いの表現をできて、それを共有するのは人と人の繋がりを作る物である。ネットの大きな可能性であり、これから伸びる箇所。
でも、僕は「オバマ大統領も神に召されるのが楽しみだ」というグループが百万人を超えるとなってすごく気に入らない。ザラザラとした気分になる。共有されている情報も排他的、人種差別、憎しみとか。とにかく人の嫌な面が顕になっている。なので、アカウントを停止した。
日本人には理解しづらいんだ、これは。周りが日本人で、主義主張やら、常識やら、言語がほぼ普遍である環境では。
差別意識を「普通」と考える人を見るのは悲しいし、すごく痛い。その無意識な敵意が自分に向けられなくとも、そういうのがあるというのを自覚するだけで怖くもなる。ネットに形成される言語という生活圏の中で生まれる社会構造は多くが排他的で、悪意に満ちた物が多い。似た思想を持つ他人と出会いやすいのだから。日本も部落民、韓国、中国に大して毒を吐くのが普通だと感じる界隈が賑わっている。アニメにハングル文字が映るだけで文句を言う人も多い。
たしかに言論の自由も約束されているし、それは尊い物だと感じる。その意見に同意せずとも、その意見を述べる権利を僕は守りたい。しかし、このグループの主義主張はあまりにも不毛で、痛々しい。何ら建設的な会話の場、意見の交流、社交の場と感じ得る要素が無い。只々現状に不満を持つ人々がクダを巻いているだけの場に見える。それも、かなり悪辣で、人種差別やらが一方的に容認されている場となってしまっている。なんせ、彼らオバマ大統領が嫌いな人達は売国奴に国家指導者の席を奪われ、弾圧されている真っ最中なのだから。
被害妄想だと感じるが、彼らは本気だ。盗人に愛する国を則られ、今までの生活が基部から喪失していく。
怖いだろう。その表現のはけ口がネットだ。無名(であるという幻)に観客を与えると人はタガがハズレて凄まじいほどに内面を表わす。対話の意思すら無い。それが怖い。
対話の意思を持たなのは何処を見てもいる。でも、自制に乏しいネットでこういうのをされるのは甚だ不快である。思想教育と洗脳の現場をみているみたいだ。有体にいえば、気分が悪い。
言論の自由とは、こういう事なんだろうか?
Facebookは中立を守らないといけない。サービスプロバイダとして、最低限として幻想を維持しなくてはならない。
2ch(2ちゃんねる)が賑わうのも無法地帯だからだ。論争もいがみ合いも飲み込むだけの容量を確保している。内部の利用者達により、独自の社会が形成され、そこ独自の論法もまた発達した。その混沌を飲み込む力が2chの強さであり、灰汁の強さがまた万民に受けない要素でもある。(アメリカにはニュースグループという媒体が2chと同じアンダーグラウンドなネット社会と化している部分が少なからずともある)
違う。言論の自由とは、自分の発言に責任を課せられるべきだ。自由な意見の交換の場。それは、意見と意見をぶつける場であるべきだ。PublicForum(公的な会議場)に出るというのは論理武装して、真剣に取り組むのが正しい形だ。これは、もしろん持論であるし、ありあふれた感想だ。無責任にまき散らされる論点すらはっきりしない百万の意見は徒党を組まなければ自分の表現すらできないまるで暴動に乗じた混乱を楽しむ輩だ。数の暴力ならぬ、論理。
関わり合いたくないね。
人はネット上で自分を縛る制限を忘れる。匿名性は発言者を隠す仮面だ。これは良い事でもある。外部からの圧力によって表現できない物が表現できる。しかし、同時に完全に無軌道な行動は人間としての尊厳を忘れた姿だ。ネットだからこそ、モラルと意思を持って自己表現をすべきだ。ネットは考えが姿外見に左右されない場所でもあるのだから。
僕にはFacebookの規制対象を選ぶ力とその責任を望まない。難しい問題であり、なおかつ大勢の人に大して影響を及ぼす決断だからだ。でも個人としてなら選択の余地はある。僕はこの状況を好ましく思わない。正直、嫌だ。
なので、僕は自分に許された判断で、Facebookのアカウントを停止する。
数々の思いがせめぎ合っているのはこのポストだけでも明らかなハズだ。なんせ、Google運用のBloggerもまた、数多くの悪意ある文章を抱えているのだから。どっちもどっちだ。真っ向に対応しないのもかなり消極的だ。逃げていると言われてもしょうがない。矛盾に満ちた考えもまた認める。
なんにせよ、僕はFacebookから離れ、BuzzとBloggerで細々と自己表現を続けようと思う。
それだけの事だ。
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